『なのはStrikerS』バナー

このページの一番下の方、目立たない感じに、いくつかバナーを貼り付けているんですが。
『なのは』は長らく『A's』のもののままで、『StrikerS』のはいつ出来るんだろうと思ってたら、この前の公式サイト更新の時の、「サイト利用について」のページにあったのか。全然気付いていなかったー。というわけでバナー追加。

『AIR』についての雑想

そういや『AIRブルーレイBOX』って出てたんだっけ。
先日、『AIR』の映像を、ゲームではなくてアニメの方ですが、かなり久々に見ました。その印象は、なんとも青い空だなあと。
改めて書くまでもなく、『AIR』は非常に印象深いストーリー、物語だったわけですが、ちょっと飛躍しますけど、もとより「空」は、「物語」との親和性が高いのでしょうね。だからこの青い空が、私にとってのこの作品の印象になっているのだと思います。
空と物語りの結びつきについていえば、例えば、「空想」という単語があります。「架空」なんてのもあります。さらに「絵空事」「空虚」もあります。「空(カラ)っぽ」「空(ウツ)ろ」もそうだし。
ひとついえるとすれば、現実ではない世界としての物語を考えた時、世界の広がりとして、空への、垂直方向の広がりの方が(どこか身体的な感じ方のするもの)、二次元の平面で表現された世界には向いているように思います。水平方向への拡張を(現実生活に近い、精神的・理論的な感じ方をされるもの)、物理的な奥行きや遠近法を放棄した、いやむしろそこから解放されているのが、二次元の表現なのでしょうから。
うわ、今気付きましたけど、平面=「絵」と「空」の結びついた「絵空事」って単語はなんとうまく出来ていることか(笑)。
現在放映中のアニメ版の『Kanon』を見ていると、以前やったゲームの方をもう一度やり直したい気持ちになります。『AIR』の場合はどうだろうか。以前も幾度か書いているような気もしますけれど、やりたいように思ったりもするんですが、あまり気が進みません。いや、むしろ気が重い。やりたくない。それだけPCの『AIR』を初めてやった時の体験は、私にとって衝撃だったということなのかもしれません。結局一度通して読了して、その後一度も読み返してはいない覚えがあります。あえて再プレイするならDREAM編の、日常の描写あたりは触れてみたいなとは思いますが。
ところで「物語」というものは、ここで思い浮かべているのは特にゲーム、もっといえば、ギャルゲとかエロゲにおけるそれなんですが、現実の世界においての、あるひとつのあり得た(あり得る、もしくは、「今この瞬間」=「その物語を読んでいる時」に進行している事実といった方が実感に近いかもしれません)可能性の自由のようなものだと、いつも感じられます。
そうだとすれば、そのことと表裏一体に、物語というものは、世界の中の可能性をどんどん限定していってしまって、そして行き着いた最後の所にかろうじて存在しているものである、とも考えられます。
物語は自由であるというのが、自分の中の最初歩の前提なのですが、実は語らない状態、ストーリーがない状況というのが、一番自由なのかもしれません。自由なのは楽です。何かを語れば、その対立項は語られない存在として、無言のうちにピックアップされます。それは何かを制限することです。制限されることはしんどい。語られなかったときには見えなかった、見たくはないものまで見えてきてしまいますし。
AIR』に存在する世界は非常に狭い。自分の思うようなところへは、決して行き着くことは出来ません。そして目をそむけることの出来ない、語られているものがある。『AIR』は、制限することによって逆説的に拡がりを予感させる作品なのだなと、今更ながらに思うわけです。再び触れずにおくにはあまりにももったいないなと思いつつ、でもしばらくはこのままかなあ。

リンク

SNSに関しては、いずれのものにもまったく触れたことがないので、どういうものなのかという実感は、いまのところは、さっぱりないのですが。
「二次元専用SNS」という「にこがみ≠」さんから「リンクしました」とのメールを頂きました。や、なぜに私のこの細々とやっているサイトに?と、普及・宣伝という目的には(相互リンクした場合に)、あまり効果がないのではと思ったりはしたのですが(笑)。
なるほど、さまざまな分野に特化したものがあるものです。この分野ではFilnの存在は知ってましたけど、こちらは初めて知りました。