『彼女たちの流儀』雑記8

残った選択肢からの展開を読んで、コンプリート。
ちょうどいいと感じるボリュームで、ここまでの感慨を残してくたか。よい作品でした。読了後も、いろいろと考えたくなる一作です。


書きたくて保留にしていることがまだまだあるけれど、今日はちょっとした所感だけを書いておく。
以下、ネタバレあり。


昨日いろいろ書いたけれど、よく考えたら、鳥羽莉ルートのEDだって、いや、むしろこちらの方が、鳥羽莉自身が未来を掴み取ったものになってじゃないか……。ただ、やはりそれでも、ナイトが仕立て上げた舞台の上での、第3の選択を自分の意志で行った鳥羽莉の、ある種の傲慢さは美しい。


今日も他のことをしながら少し考えていたのだけれど。鳥羽莉ルートEDに至る流れである、幕開け→OP『Red-Reduction Division-』→本編鳥羽莉ルート→ED『true eternity』→エピローグ『嘘』→Red -Reduction Division-→エピローグ『本当』→『Red -Reduction Division-』という一連の流れは、歌詞内容を踏まえてみると、なかなかすばらしいものがあるなと思った。
『Red-Reduction Division-』が鳥羽莉のための曲であることは、いまさらいうまでもない。『true eternity』については、いくつかの解釈の余地が残されていそうだけれど、やはり鳥羽莉のためのものと考えたい。
先日書いたように、通常の鳥羽莉エンドに惹かれるというのは、『月の箱庭』エンドに対しては、完全に光あるものではあるのだけれど、漠とした一抹の不安を感じてしまうからだろう。
すでに障害はなく、輝かしいだけに、そこに潜在する影も大きいような。あのエンドの最後は、『Red-Reduction Division-』が流れることで終わっていたけれど、「時間の止まらない永遠に 君とふたり生きること」という情景が、頭に残ってしまう。そういうものをはらんだ結末であると感じてしまう。
一方の、結末は、先ほど流れを示したように、『true eternity』があり、その後に、確かに同じように『Red-Reduction Division-』はあるのだが、さらにその次に、あの重要な再開シーンが挿入されている。『true eternity』の『ふたりは歩き出せる その歩幅は違うけど 一緒に生きることの 意味をみつけたから」という感傷を、そのシーンに私は重ねた。おだやかだ。


しっかし、いい曲だわ、どちらも。
なお、歌詞はこちら(「独り言以外の何か」さん)にあるので、メモ。


と、ここまでを書いたのだけれど、その後の思い付きをさらに。
そもそも、『月の箱庭』EDと鳥羽莉EDは、種類の違うものなんだなあと。鳥羽莉の、「永遠」に対する態度において。前者がナイトが胡太郎の願いを叶えようとしたことがきっかけとなって、鳥羽莉が背中を押されたのに対し、後者が、やはり“ナイト”をきっかけとしているのだけれど、自ら願った「猶予」である15年の年月によってわずかに強くなり得たことが導いた結末であるということ。
「永遠」に対して、対等の存在であろうとするのが鳥羽莉EDだろうか。一方、「永遠」を自らの内に取り込んでしまったのが『月の箱庭』EDであるように思える。
この構図から連想されたのが、実は、先までやっていた『デモベ』で、アルルートの、人間EDと神EDとの差異とでもいおうか。