『パルフェ〜ショコラ second brew〜 Re-order』雑記2

前回はコロッケだったが、半熟オムライスか今回は。食べるしかあるまい明日にでも。
そしてやばい、相当にやにやしながらプレイしていると思う。いやどうしてもそんな感じになっちゃうでしょう。


今日は作中の日付で11月20日まで進める。あんまり進んでないかも。
ところで「寝食を忘れて」ゲームに興じるということがある。私の場合、めったにないのだが、というのは社会人になってから本格的にゲームをやるようになったというのがあるので、もし学生時分から没頭していたら、そういうことが結構多かっただろうなとは思う。
それよりも、ゲームに「寝食が取り込まれる」ということの方が多い(例によってノベルゲーというか、話がメインになっている系統のゲームについてだけれど)。1日に作品に触れる時間はそれほど多くなくてもいい(集中力が落ちたともいうが)。そのわずかな中で味わった物語だとしても、それは、プレイしていない時間においても、例えば通常の生活、食事中や、眠りにつく前の空白の時間において反芻されたり、想像を加えたりと思いをめぐらせることが出来る。それは日常描写が優れている作品ほど。自然に、半ば強制的にめぐらせていくようになる。
そういう時間はとても貴重で、これほど愉快な過ごし方、生活の仕方といったらない。自分の日常が、ゲームに奪われていくのではなくて、物語世界にリンクして、現実の原動力になってくれるような作品に触れることができるのは嬉しいことだ。
だから、ひとつの作品を、一息にではなくて、長い日数をかけてじんわりと見ていくのはそれはそれで楽しい。


さて、例えば突然の玲愛(IMEに登録した。今まで「れあ」変換できたのは「玲亜」だけだったのですよ(笑))の訪問と、その後の彼女がベランダにいる状態での、由飛から受けた「相談ごと」のシーンなんかはいい例なんですが。
味わう私から見て、遠すぎない、よそよそしくない、仰々しくない、かといってなれなれしくない、物語としてあるべき距離にあるような場と空気を描けている。
もしかして見方によっては、複雑じゃない、ありがちなものだよ、このくらいの複雑さで満足できるなんて……といわれちゃいそうかもしれないけれど、そういったもの全く関係なく、大好き。
このバランスのよい距離感というものをつくりだすにはどれだけの積み重ねが必要だろうか。あまたのあたりまえのものたちの、それぞれに少しだけズレを加えていって、その集積がこういう、あたりまえのように見えるのだけれど、でもなぜだかあたたかいという、絶妙な距離感のある物語をつくれるのではないだろうか。実際のところそれはとても難儀な仕事なんじゃないだろうか。そういう小さなズレを加えていく仕事も、対極的な、独自の派手な世界を作り上げることに並んで、「創作」というものの大きな意義じゃないかしら。

里伽子「もう、しょうがないなぁ、仁は」

里伽子と仁の関係がどのようになっていくのか、今はまだ見えないなあ。ただ、仁が自分と里伽子との現在の、間柄についてボーダーライン上での関係という説明の仕方をしていたのはなるほどと。それって『ショコラ』でもひとつのメインのテーマになっていたような気がする。
それに「家」「家庭」「家族」(三者とも微妙に異なっているものだと思う)がさまざまな面で関わってくるのも、『ショコラ』から『パルフェ』へとつながっているモチーフっぽい。主人公についても、花鳥家についても。というかここで語られている、またはこの先語られそうな「家族」をめぐる問題というのも、結局は「ボーダーライン上での関係」についてのあれこれなのかもしれないなあ。