キャラクターの誕生日を祝う

キャラクターの誕生日を祝うってことがある。絵を描くとか、動画を作るとか、ブログで祝辞を述べるとか。モニターに向かってケーキを置くとか。
ずいぶん前から、それってどういうことなのかなあと考えていた。もちろん、それが楽しい訳だし、ある意味で「お祭り」でもあるからなのはいうまでもないけれど。
自分を顧みると、過去ログ手繰ればそういうことしてたっけと思いつつ、そうだ、最近では千早の誕生日に、中の人のブログのコメント欄が解放されたので、「彼女」にメッセージを贈ったのだっけ。
多くのキャラクターには誕生日がある。実際に彼女たち(彼ら)が作られた時ではなくて、生まれた日としてある。他にも、キャラに属するものとして、データとして表せるものとして、いいかえれば設定されたものとして、例えば血液型とか、体型とか、出身地、あるいは名前なんかも沿うかもしれない。いろいろあるのけれども。
そういったものの中で、誕生日って例外的に動的なものだなあって思う。その他の「設定」って基本的にはただそこにあるだけで、そういう性質を持っているよってことだけで、それら自体が何かを自発的にすること、促すことはない。あくまでも、私がそれを同捉えて、そこをきっかけにどのように想いを巡らすかということが問題になる。
でも、誕生日は、私が何もしなかったとしても、近づいてきて、そして遠ざかって行くものだ。現実に存在する、暦という既存の形ある(?)、動いているシステムに基づいているから。
つまりは現実の世界との交差点なのだろうなあと思う。「あと少しで誕生日になる」「ああ、過ぎちゃってた……」と思うことで、無意識にも、そのキャラの存在を、現実の時間の流れに平行させて、時間として把握できる特性なのではないだろうか。
もちろん、例えばゲームのキャラだったらプレイ中に時間を共有することは出来るのだけれど、より純粋な、生身の実感として捉えやすい時間としては、特別な手続きを踏まずともこちらにダイレクトにリンクしてくるものとしては、「誕生日」なのではないかなあと。
だからこそ、祝うことにはたいせつな意味があるんだと思っていたり。