『魔法少女リリカルなのはStrikerS』第2話「機動六課」

1話の感想などまだですが、3話放映前にいろいろと書き付けておきます。


幾度目であろうとも、OPの映像を目に焼き付けつつ『SECRET AMBITION』のイントロを聴くと背筋がゾクゾクとする。それと終盤の、裸身がむこうへと消えていく場面の辺り、曲にあわせ次々にシーンが連なるところ、その辺りもたまらないんですが。
そうそう、『アニメディア』5月号付属の冊子掲載の歌詞を、改めて眺めているのだけれど、これまた興味深い。


しかしあれだ、視聴環境は、HDDレコーダの導入により格段に便利になったものの、部屋の広さその他の事情により、以前の21インチブラウン管から10インチ(!)ブラウン管にダウングレードですよ。画の質は全てに優先するものではないというのはよくよくわかっているつもりですが、でもいつか大画面で見てやるぞと誓いを新たにしております。
好んで再度学生になった今、経済的にも最優先すべきは勉学であろうということで(つまりはお金がないということです)。このあたりは妥協すべきところ。新聞のモノクロの粗い粒子の写真だけが伝える情感というものがあるように、この恵まれない環境での鑑賞だけが生み出すことの出来る感想というものも、あることでしょう(笑)。1回で得られる情報量が少ないような気がするので、必然、繰り返し繰り返し見ることになりますしね。


思うのだが、今回、『A's』放映時に比べて各話の感想を「書かなくてはならない!」という緊迫感、というか焦燥感がない。感想を書きたいと思うことは多々あれど、どうしてもそれを文章として残しておかなければという義務感というべきせきたてがあまりないのだ。少々筆を置いて自由に見て楽しみたい、楽しむことが出来そうだと思えているのかもしれない。半年という余裕のある長さがそう感じさせていることもいえるだろう。
おそらく、そういう焦りを感じないのは、先日のリリカル・マジカルの雑感でも少々触れたが、『リリカルなのはStrikerS』という作品が、よい意味でアニメらしいアニメ作品だよなあという印象があるからじゃないだろうか。たぶん私が最初に『なのは』に惚れた時、そのアニメらしからぬ、ユニークな側面が大きな役割を果たしていたんだろう。少なくとも、こういう種の作品にはそれまで触れたことがなかった(というか、それまであまり、ほとんどアニメというものを定期的に見る習慣もなかったのだが)。かつては、そのユニークさをもらさず、かつ急ぎ書きとめなければならないという衝動がやむことがなかった。そして今回、そういう次元を超えたところにこの作品が、そして私自身も上がってきているんじゃないかなあと。
いや、表現したいものを表現したいように表現する自由さを得たということを別として、『なのは』シリーズは従来から今回にかけても根本的に変わっていないのだが、一方にある、この作品を取り囲み、受け取る周囲の環境が追いついて来たといえるかもしれない。
とはいえ、やっぱり書きたいことは山ほどあるので、ちょっと気楽に、かつゆったりと書いていきたいと思いますが。


さてこの第2話。ひとつ大きく語られているのは、はやてが六課を作り上げようと決意したきっかけがどのようであったか、な訳です。
はやての六課のあり方は、今ある現実の枠の中で、彼女がいかに自らのやるべきことを、やりたいと感じることを実現させていくかという着実な軌跡の蓄積の結果だということがわかる。夢と現実に両の足をそれぞれ突っ込みつつ立ち、しかし現実の枠内で出来うる最大のやり方を選択するような。そこでは、あるいは綿密な根回し的なことも必要だっただろう。それははやてこそが出来たことだったのだろう。こういうあり方、非常に好みだ。
はやては彼女の道を歩んでいる。だからこそなのはとフェイトがそこで活躍することが出来るといえよう。またそのことは同じように、なのはに対するフェイトとはやて、同じくフェイトに対する……という関係についても間違いなく、なんだろうけど。


しっかし、ちょっとギャグっぽいスバルとティアナのやりとり。やっぱりこの二人はぴったりなコンビだねえ。
さらにこのやりとりを見ていて、やはり私はティアの魅力にどっぷりとはまっていきそうな予感(笑)。その言動、そしていい表情をすることすること。


とりあえず今日はここまで。