『遥かに仰ぎ、麗しの』

進行中。本日は2時間ほど。
あれ? ゲーム起動すると自動的に解像度が切り替わるようになった。どの設定いじったんだっけな……。


みやびかわいすぎる。久しくこれほどの度合いで好みにあう話はなかったかもしれない。
あのことに気づいた次の朝に、みやびが見た世界の美しさに共感する。よくわかる。その前後の展開が素晴らしい。現時点の章名「無自覚な初恋」は、そのタイトルだけで満たされる気がする。自覚されない、知覚されても実感されない感情を理解していく様というのは、なんともいえない歯がゆさと心地の良さで。しかもみやびの身の上にそれが起こっている必然性があるような。そうでなくてはならないのっぴきならない説得力がある。
それは司についても同様。彼の、ある種理想的な、確信と誠実さと完遂する責任感の原動力に、絶望があるということが、すこぶる実感されるように思う。なるほど、絶望を対極的に反転させたときに、行動の絶対的な動力になるなと思う。なんだろう、他者に対して、その人がその人らしくあって欲しいという理由で、全力でことに当たれる人というのは存在して、そのうちには、ネガティブなことを力の根源にしている人も存在する、よな、確かに。
ゲームの主人公が、というかエロゲの主人公が鈍感なのはお約束だけれども、よくあるようにそういう「設定」にある名前を持った「主人公」がかぶせられるのではなく、司の場合においてそれは必然と思わせるものがすでに語られてきている。だから私がこの世界を見る視線はぶれないのだろうなと思う。司がみやびとの関係のある部分に気づけないのは当然なのだ。
それは2人の、とくにみやびについて感情や仕草やさまざまなことを、ここまで緻密に見せてくれてきたからということもあるだろう。そこで大きな役割を果たしているのはやっぱりリーダさんで、彼女とみやび、司のそれぞれの関係が、みやびとつかさの関係を付かず離れずほのめかしている、それがすごくたのしい。
改めて声高にいうべきことでもない当然のことなのだけれど、ある関係で別の関係を間接的に語るというのは、驚くほどに説得力を持つものだなと思った。