寒いわけだ。午後1時間ほどは降っていただろうか。


止んだのを見計らって、近所の家電量販店にドキュメント・スキャナを見に。
ScanSnap S300とS510のモックしかなかったけれど。サイズはどっちも小さくていい感じ。用紙受けのつくりとか、収納・展開をやってみて確認したり。紙カタログみて気づいたけど、S300がCISでS510がCCDという違いがあったのか。CANONのはS510の価格帯でもCISなのね。
うーん、S510なら、「Adobe Acrobat 8 Standard」が付いてきて、今月末までは9にアップグレードしてくれる。が、3万円台後半はやっぱり高い。ソフト添付なしだけどもS300の2万2000円ちょいは魅力的だなあ。とりあえず2,3月中に使いたいから、こっち買っといて、物足りなければいずれは複合機とかというのもありかなあ? S300は仕事先でも使えるかも。
Amazonがかなり安いけど、ポイント還元考えればさほど変わらなそうなヨドバシのネットで買うか。ScanSnap S300 ¥26,800 15%還元(4,020ポイント)。あー、店舗購入分のポイントをネット分と統合するには一度実店舗行ってこなきゃなのか。少し面倒。にしても、PC関連の高いモノAmazonで買っちゃうのはちょっと不安だ。保証とか修理とか後々のこと考えると。


『アイドルマスターSP』プチまとめ、他機種版からどこが変わったのか? - 電撃オンライン
あんまりゲーム内容、システムとかチェックしてないんだよな。
あとでよむ。


あー、論文概要作ったり、資料の整理とかしてたら、今日も『かにしの』できなかった。
目・肩の調子は相変わらずいまいち。眼精疲労に薬剤師さんおすすめのキューピーコーワi買ってきたから、もう飲んでねる。

『アイマスSP』

そうか、延期前の発売ならばもう出てたんだっけ。
あー、それでも来月か。PSP本体の購入をそろそろ検討して予算化するように。あとソフト予約したやつの代引き支払用に、忘れずに現金を用意しておくように>自分。
それから、HORIのアクセサリーセットとかもメモ。


あと、すっかり忘れてた「アイマス新年会〜27時間無礼講SP〜」
リアルタイムで見ようと思ってたのに……。あとで見る。

視力

大学でのアルバイトでPCを使い続ける作業をしていたせいか、すごく目が疲れてしょうがない。帰宅後、仕方ないから20時くらいに寝て23時すぎに起きだして、修論の概要を集めた冊子のための原稿作成に3時間ほど。それから深夜にゲーム。
修論期間を通じてPCの画面を長時間――追い込み期は起きている時間のほとんど――見続けることでずいぶん目には負担をかけたように思う。一時期、モニターの明るさで吐き気を催して、一日に何時間も向えなくなることがあった。あまりにもひどいので11月に眼科を受診して薬を出してもらったのだけれど、確かに効いた感じはした。でだ、10月に一度視力を測ったときには、1.5/1.2だったのが、その11月には、1.2/0.9になってたりして。そんなに変るもんか……と思った。いや、事実ずいぶんと遠くが見えにくくはなっていたのだけれども。
でだ、論文の完成後、しばらく経ったら幾分か遠くの文字とか見やすくなっている気がして、なんだかストレスがなくなったのも関係あるのかなあと。そんな気もした。
とか思ってて、今日は久々にまた目に違和感。大学のDELLのモニターはいまいち相性良くないなあ。自宅の新しく買った三菱RDT203WMはかなり見やすくて、目にもやさしい感じがするので、よいものを買ったかもと思う。

『遥かに仰ぎ、麗しの』

キャンプの夜から、第8話終了まで。2時間弱進める。
やっていて楽しいゲームがある期間というのは幸せだなあと思う。朝起きて、一番にキャラのことを考えてしまうのが楽しい。それから日中、今日帰ってできるだけ早くやるべきこと終わらせて、それからじっくりと楽しもうと思えるのは、すごく楽しいことだから。同時に、終わらせたくはないなあとも思うわけで。そういうよいゲームの場合、その作品に接しているときは、一対一で、間違いなく掛け替えのないもので、ほかのゲームでは満足できないと感じるわけだから。
現実のところ、ほかのよい作品に出会えれば、また同じことを思うわけだけれども。しかし、そのゲームだからこそ、他には絶対にないというものは、やっぱり絶対にある。


海辺でのキャンプの夜。リーダさん。
リアルに生きていると、何かしらの転換点というものは、決して「点」として知覚されることはなくて、蓄積とか、ある程度のスパンを伴った時間経過として振り替えるのが、まあ普通だが。いやでも、実際のところ、それってやっぱり点みたいなもんかなとも思う。そういう点が実際にあるように実感している。人が「変わる」ということは滅多にないことだと思うけれど。過去にあった物は絶対にいまあるし、現在の自分に何の片鱗もないものは、未来の自分にあるはずもないと考える。存在する枠というか、ボンヤリとした境界線のなかで、いろんな要素が組み変わったり、表面にあるものと深層にあるものの位置関係が変化することによって、それが見た目には「変わった」と判断されるんじゃないかしら。本質的に何かが「変わる」ということは、なかなかにあるわけではないと。内的な変化は時を経てのものであったり、何かを繰り返しての変遷かも知れないし、その変化・変遷は過去として回顧すれば蓄積や時間経過として感じられる。そしてそれらによって自覚的に「変わる」のはやはり「点」として感じられるのではないだろうか。


まあそれはさておき。この夜を境に二人に対する云々。司の視点はたまに未来から回顧している感じになるけれど。それは自分と過去の自分との関係の表明であって、前回の感想に書いたような、関係によって関係を描く、そういう語られ方ととるのもアリだよなあと思う。
そうそう、だから転換点というのは未来からしか把握することはできなくて。御嬢様が自分の未来を決めた、日云々とか、そんなのもあったよね。
いや、しかし。リーダさんではないけれども、やはり鈍感すぎるというものではともいいたくはなるな(笑)。でも、司の鈍感さというのは健全な鈍感さとでもいうべきもののように感じられるので安心できる。彼の行動原理のある部分を絶望が支えているというのは確かかもしれないが、よくわからないが、もっと別の部分からその鈍感さが来ている気がするから。それを先天的といってもいいかもしれないが。多分、彼が常に自分の正しいと思う一線を意識してやってきたというときの、それと同じ性質のものだと思う。
一方のみやびの鈍さは、単に「無自覚な初恋」的なもので、リーダさんのいう、理事長から女の子に成り下がったという、それだけのことかもしれない。でもやっぱり、認められてこなかった絶望に由来する、でもさっき触れた司の場合とは異なる、簡単にいってみれば自信のなさが原因の鈍さなんじゃなかろうか。こんな自分が、という。だからこそみやびにこそひどく感情移入しちゃうんだよわたしは。みやびの肯定を求める悲しげな寂しげな表情と目は、なんというかすごく切ないよなあ。同時にものすごく美しいなあとも思ってしまうのだが。
みやびは、CGアルバムの1頁目の、上段左から3番目みたいな、眉を下げて、口が波状というかへの字になってる、悩みを押し込めている表情がよすぎる。

日記

iTunesのランダムが、不意を突いて中司雅美「それぞれの未来へ」を選んだのが涙腺を刺激する。せっかくだから手動で「Feeling Heart」も再生。
ちょうど昨日、Amazonの購入履歴を何気なく見ていて、一番最初の注文は何だったのだろうかと確かめたら、『To Heart』(PC版)だったのでタイミングがいい。履歴からして、最初にやったのは2004年1月だったらしい。ああ、PS版を2003年の年末にやってたんだっけ?
ずいぶん昔のことで、もう当時の細かい記憶がおぼろげにもなっているけれど、この曲の引き出す感情というのは、間違いなくそのときに感じたものそのままに思え、かつ未だに新鮮だよなあ。


「ロングマン英英/英和辞典 for ATOK」
2月6日発売。DL価格3800円なら買ってしまってよいかも。
修論執筆時の環境投資としてATOK用の類語辞典を導入したら、快適すぎて手放せなくなった。ATOKで使える辞書類は、どんどん追加していきたいところ。

『遥かに仰ぎ、麗しの』

進行中。本日は2時間ほど。
あれ? ゲーム起動すると自動的に解像度が切り替わるようになった。どの設定いじったんだっけな……。


みやびかわいすぎる。久しくこれほどの度合いで好みにあう話はなかったかもしれない。
あのことに気づいた次の朝に、みやびが見た世界の美しさに共感する。よくわかる。その前後の展開が素晴らしい。現時点の章名「無自覚な初恋」は、そのタイトルだけで満たされる気がする。自覚されない、知覚されても実感されない感情を理解していく様というのは、なんともいえない歯がゆさと心地の良さで。しかもみやびの身の上にそれが起こっている必然性があるような。そうでなくてはならないのっぴきならない説得力がある。
それは司についても同様。彼の、ある種理想的な、確信と誠実さと完遂する責任感の原動力に、絶望があるということが、すこぶる実感されるように思う。なるほど、絶望を対極的に反転させたときに、行動の絶対的な動力になるなと思う。なんだろう、他者に対して、その人がその人らしくあって欲しいという理由で、全力でことに当たれる人というのは存在して、そのうちには、ネガティブなことを力の根源にしている人も存在する、よな、確かに。
ゲームの主人公が、というかエロゲの主人公が鈍感なのはお約束だけれども、よくあるようにそういう「設定」にある名前を持った「主人公」がかぶせられるのではなく、司の場合においてそれは必然と思わせるものがすでに語られてきている。だから私がこの世界を見る視線はぶれないのだろうなと思う。司がみやびとの関係のある部分に気づけないのは当然なのだ。
それは2人の、とくにみやびについて感情や仕草やさまざまなことを、ここまで緻密に見せてくれてきたからということもあるだろう。そこで大きな役割を果たしているのはやっぱりリーダさんで、彼女とみやび、司のそれぞれの関係が、みやびとつかさの関係を付かず離れずほのめかしている、それがすごくたのしい。
改めて声高にいうべきことでもない当然のことなのだけれど、ある関係で別の関係を間接的に語るというのは、驚くほどに説得力を持つものだなと思った。

日記

土日月と、センター受験の生徒たちの賑わいを横目に図書館で投稿論文のリバイスを続けた甲斐あって、無事締め切りに間に合って提出完了。取り合えずこれで掲載はされるはず。質的に多少の悔いが残る出来映えではあるが。さらに修論口述試験準備とか、多少落ち着いたと思ったらまだまだ忙しい。


昨日届いていた『DEMENTO』を40分ほど。一体いつからPS2を起動していないのか、埃だらけのコントローラを清掃。『ANUBIS』のゲームディスクが入ったままになっていた……いつよ。
これ大画面でやりたいなあ。フィオナの髪のさらさら感が!
追われる緊張感がなかなか面白い。


たかはしさん今井さん提供サイン入りゲームディスク
ヤフオクのチャリティーオークションから。11万超え。やはり入札額の下三桁は「765」か!